タイ国境 Bukit Kayu Hitam
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North Malaysia

ブキット・カヤ・ヒタム タイ国境 Bukit Kayu Hitam

 ペナン/Penang、アロースター/Alor Setar を通るマレーシア高速道は、タイ国道4号線と続き,ハジャイ/Hat Yai、バンコク/Bangkok へと続く。ブキット・カヤ・ヒタム/Bukit Kayu Hitam は、マレーシア側の国境である。
 多くの車が,この国境ゲートを通過する。アロースター辺りまでは,もともとタイであったようで,領土交換により現在マレーシアとなっていると聞いた。
注1:本件に関し,マレーシア在住の日本の方からご指摘をいただいた。「Alor Starはもともとタイ領などではありません、初めからマレーの土地です。マレーシア半島北部と東部の一部はタイに占領されたことがあります。ペルリスのように1世紀以上もタイに属した土地もあり、タイ文化が入ってきた場所もあります、反対にタイ南部はマレーイスラムが浸透してタイムスリム社会を形成しています。」 領土的歴史について、勉強不足で,前記領土に関しての記述について削除いたします。ご指摘ありがとうございました。(2000.3/26)
注2:本件に関し,2000/7-8 に、マレーシア及びタイを訪問した機会に、いろいろ聞いてみた。この時、分ったことは、この歴史的事実について、聞いた範囲の両国民とも、意外に知らないということであった。明確な歴史的事実については、もう少し待つとして、次ぎのようなことを聞いた。
 Malaysiaに、Sungai Petani という都市があり、Thailand に Pattani という似たような名前の都市がある。Sungai Petani(Subgaiは、川の意味) は、Kedah州、Alor Sstar と Butterworth との中間にあり、Pattani は、タイ東海岸にある都市で、Songkhla, Hat Yai 近くにある。これらの都市を含むそれぞれの地域は、行政上の理由から、両国間で交換されたという。この辺の事情をご存知の方、連絡下さい。(2000.8/11)
注3:Internet で、Pattani について、調べてみると興味深い事が分った。
 Pattani, Yala, Narathiwat, Satun, Songkhla の南部地域は、タイのイスラム/Muslim の81%が住み、マレー語を主に話す Malay-Muslim である。タイは、大多数が Therawada Budhist で、Muslim は僅か4-5%に過ぎない。
 この地域の歴史は、二十世紀初頭(1909)、マレーシアを植民地として興味を持っている英国とこれに対抗するタイとの間で、勝手な国境協議が進められ、この地域がマレー・イスラム文化圏から切り離され、タイに編入された。この時、この地域は、Sultanate of Pattani であり、タイ王国下での自治権が見とめられた。
 この歴史的背景とタイ仏教、マレー語を話すマレー人のイスラムとの間で、種種の問題がその後生じる事になる。タイ政府に対する、独立運動が活発化し、特に1981年まで, the Pattani United Liberation Organization (PULO) と the Barisan Revolusi Nasional (BRN)(約1600人) がタイ軍い対して、執拗に抵抗した。(2000.8/20)
 この国境は,大きな建物である。

Bukit Kayu Hitam Bukit Kayu Hitam
Bukit Kayu Hitam
 この建物がタイ側の国境管理局で、建物の向こうにはタイのタクシーが客待ちをしている。この国境の前後約500mは、歩くだけなら自由に往来できる。

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