シティー・ホール City Hall
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 MRT City Hall の周辺は、ラッフルス・ホテル、ラッフルス・シティー、戦争記念公園、シティー・ホール、国会議事堂、マーライオン公園、マリーナ・スクェアとショッピング、観光の最高の環境が整ったところである。
 MRTのCity Hall は、戦争記念公園側の写真であるが、Raffles City にもあり、直接繋がっている。

ラッフル・シティー/Raffles City 
 ラッフルス・シティーは、ホテル、オフィス、ショップの総合ビルで、The Westin Stanford、The Westin Plaza、そごうデパート、一流ブティック、レストランがある。写真左のレンガ色の瓦屋根の建物が Raffuls Hotel である。Note:そごうデパートは、現在 Robinson Department Store となって生まれ変っていた。(2002/3)

セント・アンドリューズ教会/St.Andrew's Cathedral

戦争記念公園/War Memorial Park War Memorial Park
 アジアを旅すると、日本の戦争との関わりがふと出てくる。戦後も半世紀を過ぎ、忘れた記憶を呼び起こす記念碑が、アジアのあちこちにある。この記念碑もその一つである。日本占領時期死難人民記念碑。1942年2月15日から約10日間、シンガポールを占領した日本軍は、多くの中国人、マレー人、インド人、ヨーロッパ人を虐殺した。その数は5万人と言う。シンガポールは、多くの日本人が、毎年40万人以上の観光客日本人が訪れる。戦争を知らない若い世代が訪れることが 多くなったが、時には過去の歴史を、我々日本人がしたことを思い出して欲しい。そして、それぞれの思いを込めて、手をあわせてみたい。
 後ろは、マリーン・ベイ。

エリザベス・ウォーク/Elizabeth Walk
 エスプラナド公園/Esplanade Park にあるエリザベス2世王位継承を記念して名づけられた遊歩道がある。ここに建てられたセノタフ英軍戦没者記念碑(左)、トム・ポー・セン記念塔。

シティー・ホール周辺/Neighbourhood of City Hall Sir Stamford Raffles Landing Site
 1819年1月29日早朝、東インド会社の官吏、スタンフォード・ラッフルスが最初の一歩を記した所に白いラッフルス卿のの像が建っている。

 写真右が1929年に建てられたヴィクトリア様式のシティー・ホールと1939年に建てられたコリント様式の最高裁判所で、独特の雰囲気の一角である。シティー・ホールは、1945年9月12日日本軍が、イギリス軍に対し、降伏調印をしたところとして有名。
Suprem Court

Parliament House
 1827年豪商の館であったもので、国会議事堂。現在、この裏に新しい国会議事堂が建設されていた。下の写真は、新しく建てられたシンガポール国会の建物で、シンガポール川沿いに建てられた周りと調和させて建てられている。


Victoria Memorial Hall
 1905年にヴィクトリア女王に捧げて建造された記念館で、現在はシアターとコンサート・ホールとして使用されている。
 建物の前に立つブロンズ像は、高さ約2m50cmのラッフルズ像で、上陸地点に建っている像は、一回り小さいこのコピーである。

Esplanade Park
 対岸のマーライオン公園から見たエスプラナード公園、ラッフルズ・シティー。

マリーナ・センター Marina Center
 マリーナ・センターは、シティー・ホール沖を埋立てて造成された新しい所で、現在も次々に新しい建物が作られている。左は国際展示・会議場で、右は2002年10月オープンの建物。

シティー・ホール界隈 Around City Hall

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