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10.TG640 で見事にお金を抜き取られた(1999.8/8)
 1999年8月1日,シンガポール,インドネシア,マレーシアそして最後のタイを回って,バンコク発10:50、成田着19:00のTG640 に乗った。旅慣れて、何時ものように、預ける荷物をセキュリティーを受け、カウンターでチェックインをし、小型のスーツケースを預けて、Bt500 の空港施設税を納め、出国手続きを終え、デュ-ティーフリーの煙草を買い、出発を待って機上の人となった。何時もの変わらぬ手順である。
 この何時もの変わらぬ慣れすぎた手順に、油断に,事故が起きた。スーツケースには,ダイヤルキーと両側にカギがついているものであるが,セキュリティーチェックの際、バンコク空港は,一般の空港がチェック証明のラベルを貼るのに対し,ビニルテープを巻いて,セキュリティー終了後は開けられないようにする。従って,何時も最低ダイヤルキーを掛ける所、預けるときカギをかけなかった。
 成田空港で,入国手続き後手荷物を待つとコンベア−に乗って出てきた。オヤト思った,巻いてあったビニールテープが丸めて取っ手にに巻きつかれている。オヤト思ったがそれ以上のことを考えもしなかった。何時もの通りに家に帰って驚いた。スーツケースを開けると財布のジッパーが開けられ、見るとお金がすっかり無くなっている。やられたのだ。ビニールテープの理由が納得できた。同時に、昔テレビで見た空港内の金品抜き取りのシーンが浮かんだ。テレビのシーンは現実なんだと思った。緊急・予備の日本円、使わなかったシンガポールドル、インドネシアルピー,マレーシアリンギットそして少しのUSドル。さすがにコインはとらずにそのままであった。

 直ぐに,タイ国際航空/TG の空港事務所に電話した。お金および貴重品は,本来入れないようになっており,その旨を明記してあると言う,品物が壊れた場合は、多少の保証をするがお金については保証対象外であるといい、空港をいったん出ると空港事務所は管轄外であり,東京の業務課が担当することとなるので,業務課で話してくれという。翌日、業務課へ電話をしたが、金品は本来預けるものはなく、保証対象外であるとの繰り返しであった。
 次ぎに,旅行傷害保険に電話をしたが、お金は対象外であった。
 クレジットカードにより、お金を保証する保険が付加されているものがあるというので、JCB および VISA に電話したが、いずれもそれは付加されていなかった。VISA には、海外・国内旅行傷害保険の付加されているものがある。TGによると、オリコカード、セゾンカード等お金も保証する保険が付加されていると言う。この点,研究の余地がある。

 以上が一連の顛末であるが,海外旅行をされる人に次ぎの点を自己反省から,注意されたいと思う。

9.中国の婚礼(1999.6/20)
 中国で、中国の友達の結婚式に参加することが出来た。初めてである。私達一般の結婚式のようでもあり、中国らしい結婚式であった。
 中国の婚礼は、結婚式と披露宴を一つにしたものである。日本の場合、神前であり、仏前であり、キリスト教であり、結婚式をし、その後、披露宴というのが一般的と思う。参加した婚礼は、多分これが一般的と思うが、一緒に行われ、すべてが参加者の前で行われる。

 まず、招待状であるが、新郎新婦のタキシードとウェッディングドレス姿の写真付きである。宴の開始は、11時とあったが、実際の開始は12時ごろであった。最初から開宴は、12時のようであるが、中国の参加者の集まりの習慣から、一時間程度の余裕をしておかないと、さらに遅れることとなる。日本のように、分単位の時間割からすると、のんびりしているように思えるが、これが中国式なのか、アジア式だろう。せかせかとする日本が普通なのか、これがゆとりある普通の生活様式なのか。
 西洋系のホテルの大宴会場で、結婚式は行われたが、受付があり、名前登録と記帳、さらに大きな紙にお祝いのサインをする。テーブルは、事前にテーブルが決められている。そのとき、赤い封筒を渡される。祝儀を事前に渡していたので、渡されなかったが、どうも、それに祝儀を入れて渡すようだ。話は違うが、旧正月の際アジアに行き、カラオケに行くと、小姐が多くの赤い封筒を持っている。お年玉用である。中国では、貰う人も渡す人も、それぞれこういう物をお互い準備しているようにも思える。

 婚礼は、連続しているが、進行する司会者によって進められれ、二つの部分にやはり分かれる。やはり、結婚式と、披露宴だ。
 司会者は、まず人民政府の結婚証明書を掲げ、正式に結婚が承認されたことを報告することで開宴する。壇上に、新郎新婦、それぞれの両親が並び、まず、結婚証明書に基づき、二人に順に結婚を確認し、そして、指輪だと思うが、交換する。このあと、新郎新婦は、天に、地に、両親に、そして、お互いに三礼する。ここまでが結婚式だと思う。
 結婚式に引き続き、そのまま壇上で、新郎の父親、新婦の父親、新郎、新婦の順で挨拶する。そのあと、新郎側、新婦側の代表挨拶、そして、来賓代表挨拶。多くの場合何処も、それぞれが所属する会社の上長となり、新郎の場合、親会社の社長、新婦の場合、勤めている日系の銀行の日本人責任者であった。来賓代表は、日本からの参加ということもあり、私に指名された。一応中国語での祝辞を用意しいたが、こんなに早く指名され、来賓代表とは思わなかった。いささか、アガッタが果たして、私の中国語はどうであっただろうか? 通じたであろうか? この一連の挨拶と祝辞が終わって、新郎新婦、それぞれの両親も、壇上から降り、一般のテーブルに座り、乾杯が行われる。ここまでが、披露宴の第一部である。
 第二部は、歌手の歌で始まり、やがて、新郎新婦が、白酒とタバコを持ち、テーブルをまわり、一人一人に、新郎が白酒で乾杯し、新婦が煙草を渡し火をつける。新郎の白酒での乾杯は、大変だなと思っていたが、新郎は水を入れ乾杯していた。この間、最初から前菜は用意されていたが、数々の料理と、ビール、白酒などが出てくるし、カラオケも用意され、適当に参加者が出て歌っていた。しかし、祝辞は、乾杯前の三人だけで後は一切なかった。
 意外に思ったのは、参加者の服装と散会の仕方である。服装は、参加者も背広あり、シャツあり、ポロシャツあり、適当である。また新郎も、招待状はタキシードであったが、普通の背広であったし、両親も新郎側の背広と姿と新婦側のシャツ姿であった。しかし、新婦はウェディングドレス、中国服とお色直しを二回か、三回していた。やはり新婦が華か。散会の仕方であるが、適当にそれぞれ思い思いに散会する。終わり頃に、壇上でそれぞれのグループで、新郎新婦を交えて数回の記念写真を撮る。またこの時は、最初からビデオを撮っていた。すべてが、時間単位でこしらえられ、進めれれる日本とは異なり、おおらかに進められる。出口には、記念品が用意されており、中国最高の一つ「紅塔山」のタバコとクッキーの入った小箱が渡される。

 以上が婚礼の次第であるが、久しぶりにゆったりとした気持ちであった。


8.氏名の英語表記について(1998.12/29)
 昨日の朝日新聞の夕刊のコラムに、「姓名と名姓」という題の短文が載っていた。暮れも押迫った時だが、日本人の英語表記について、アジアを回りはじめるようになって、気になり考えていたことだ。
 姓名を英語表記する時、名前を先に、姓を後に書くのは、当り前だと思っていた。英語を習うようになって以来、何の疑問も感じなかった。欧米に行く時、当り前のように、名前を先に、姓を後にローマ字で印刷した名刺を用意してきた。

 アジア、特に中国、韓国、台湾、香港を回って、待てよと思いはじめた。姓をはじめに書いた名刺を貰いはじめたからだ。姓名の英語表記は、当然名が初めに来ると思っていたからだ。
 中国の場合、大半は姓そして名の順に書いてある場合が多い。
 香港は、英国の植民地の影響が強いせいか、英語のニックネームそして中国の姓の順で書いてあることが多い。シンガポールも英語のニックネーム、そして中国姓の順が多いのは、香港と同様な歴史的影響だろう。
 台湾は、名−姓、姓−名の順が混じっており、名−姓の場合、英語のニックネームが書かれていることが多い。台湾も、香港、マカオと同様、内在的に中国との統一問題も有り、主に北米に家を持ったり、子弟を留学させたり、不意の事態を想定した準備をしている人が多い。この辺の事情から、英文ニックネームを持つ人が比較的多い理由の一つだろう。
 韓国の場合、姓−名、名−姓は混在しており、姓−名が幾分多いように思う。ただ、混在する台湾、韓国などの国の場合、名刺を貰った場合、よく知っているわかりやすい姓の場合は分かりやすいが、そうでない場合、判りにくい。
 ヴェトナムには、行ったことがないので判らないが、朝日新聞のコラムによると、姓−名英語順表記のようだ。
 日本の場合は、判を押したように、名−姓の順である。という私も過去、前述のように当り前だと思っていた。

 以上の姓名の英語表記に対する疑問と同時に、更に疑問が出てきたのは、Wall Street Journal、Asian Wall Streel Journal などの英字新聞を読むと、日本人の名前は名−姓順で表記されているのに、中国人の場合、Mao Ze Dong(毛沢東)、Dong Xiao Ping(トウ小平)、Jiang Ze Ming(江沢民)等、姓−名順表記で書かれる。欧米新聞社は、まさか姓が、Dong,Ping,Ming だとは思っていないだろう。

 氏名の表記法で、姓−名、名−姓の二つの表記法で、どちらが良いか議論するつもりはない。それぞれ、それぞれの国、地域の家族制度の歴史が有るだろう。それを無視した考えで言うつもりもない。物事には、それぞれの長い民族の歴史が有るからだ。植民地政策の一つに、氏名改姓の歴史が有る。過去にも有ったし、日本も関与した。現在でも、それはタイ、インドネシアで見ることが出来る。インドネシアの中国人で、Rustam,Sutanto は、元の中国名は陳(Cheng,Chen,Chan,Tang,Tan)という。改名しながらも、ちゃんとその民族の歴史を潜ませている。

 追記1:名前の英語表記で、同じ漢字文化圏の中国、韓国と日本との違いが有る。中国、韓国では、名前の漢字一字づつ、大文字で表記する。名前の付け方が、日本と幾分違うのだろう。
 中 国:王 良碧/Wang Lian Bi(勿論、Wang Lianbi とか書かれていることもあるが、少ない)
 韓 国:金 容権/Kim Yong Kyol,Kim Yong-Kyol(勿論、Yong Kyol Kim と書かれていることもある)

 追記2:私は外国では Ted Hayama という名刺を使っているが、マレーシアで聞かれたことがある。当然、Ted は、ニックネームであること、またファーストネームであることは判ったようであるが、Hayama がファミリーネームであることが判然としなかったようだ。First name or surname? と聞いてきたこととがあった。
 タイ、マレーシア、インドネシアでは、余り姓を言わない。紹介はほとんど名のみであることが多い。特に、タイの場合、姓は難しく比較的長くあまり言わない。名も長い場合が有り、ニックネームを持っていることが多い。
 このホームページでも、私の名前を Ted Taamchai HAYAMA と姓を大文字としているのは、大文字として、姓と名を区別したほうが、分かりやすいと思ったからである。
 


7.韓国人と赤いバラ(1998.5/31)
 1998年5月、中国から韓国に入った。4月、5月は、太陽の温もりの弱い冬から、陽の暖かみの有り難さをしみじみ感じる時でもある。どの地域も、どの国も、その暖かさとともに、一斉に花の彩りで溢れ、季節を誰も平等に享受する。
 韓国に入って、まず目に付いたのは、バラである。家々の垣根に、道路に沿った花壇に、バラ、バラ、薔薇である。赤い薔薇である。
 バラには、色々な色がある。赤、紅、ピンク、白、黄色等ようような色がある。韓国の薔薇は、ほとんど赤である。どの家の垣根の薔薇も、どの道路の歩道の花壇の薔薇も赤い薔薇が強烈に咲き誇る。
 それは余り強烈であったので、帰国し、家の、また近所の垣根や庭の花を改めて見た。日本の垣根は、木が多い。そこにツツジ、スミレ、オーブリエチア、マーガレット、ポピー、山吹、コデマリなど日本の花、外来の花と多種多様、そしてバラもある。花の色もようようだ。白、紅、ピンク、紫、黄色等。そして、多くはないが垣根に、バラも咲いている。色は、原色の赤よりも、淡い色に属するピンクと白が多いように思う。
 バラの花言葉は、一般には「愛・美」であり、赤は「模範・貞節」。因みに、ピンクは「愛をもつ」、白は「尊敬・私はあなたにふさわしい」、野生は「素朴な愛・孤独」。
 韓国は、現在いわゆる”IMF”である。韓国で、わずか10日ほどの滞在で、何十回の”IMF”と言う言葉を聞いた。”IMFだから我慢しよう、IMFだから値引きして下さい、IMF価格、IMFディスカウト、IMF,IMF・・・”と。韓国は、日本に追いつけ、追い越せと一生懸命であったように思える、そして日本に肩を並べたと感じた。この辺は、今まで韓国を訪れ、回を増すごとに段々強く感じることであった。しかし、1998年11月、韓国の国民誰もが考えもしないことが起こった。国家の金庫に金が無く、返済する金がなく、このままでは不渡りを出す状況になった。韓国民にとって、世界一等国から被管理国になったわけである、夢にも思ったことのない、考えられない、突き落しである。この時、韓国民は、強力な団結を示した。外国品の不買、金の供出、海外旅行の自粛等。ヨーロッパ等海外に行くと、韓国語を声高に話す一団によく出会う、ハングルの店の多さにも驚く。この辺の事情は、我々日本人の行動と状況にも当てはまる。いい意味でも悪い意味でも、自分のことは分からないことが多い。他山の石とすべきだろう。話が横道にそれたが、この時、韓国民は金の供出運動を展開し、多くの金が供出され、返済の大きな助けとなったと報じられている。これは、一時国家が借り、後で返却する。今の日本で、このエネルギーはかっての様にあるだろうか。これは一つの象徴的例であるが、このストレートな感情表現は、よく見られる韓国人の一面のように思う。
 韓国で、よく見る風景は、喧嘩である、凄まじい殴り合いの喧嘩である。エネルギーのある若者ではなく、一般の人同士が殴りあい、何を言っているのかは分からないが、独特の喉から出す韓国語で言い合っている。韓国のショッピング繁華街、明洞(ミョンドン)で必ずと言っていいほど見られる風景だ。この感情の発露は、直接的、一方的、一途である。
 韓国語は、喧嘩をしているような発音に聞こえるが、私だけであろうか。特に女性言葉として、多用されるイェヨ体言葉は、優しい響きがあるが、女性も突然話し合いが、喧嘩発音に変わり、話し合っている様子を目にすることが多く、吃驚することがある。激しさを感ずる。よく韓国は、「怨」として表される。感情の強さである。
 話は、随分横道にそれたが、赤い薔薇、何処を見ても、赤、赤、赤の薔薇。何か韓国人の好みと人情、感情がだぶって来る。「模範・貞節」。


6.デジタルカメラ使用記(1998.4/25)
 このホームページを作るようになって、デジタルカメラを有効に愛用している。1996年12月に、Casio QV-100 をまず購入した。その後、撮影枚数の制限とフラッシュの必要性から、1998年1月に、Olympus C-820L を購入した。これらを使用して、主に旅行中での撮影経験から、この二つの機種の違い、デジタルカメラとしての必要機能などの感想を感じたままに以下に述べてみる。只独断と偏見もあると想われるので、ご迷惑があればお許しを乞いたい。これらの撮影写真は、ホームページに多数載せてあるので、ご参考下さい。

 
項目CASIO QV-100Olympus C-820L
撮影素子1/4"CCD,35万画素1/3"CCD,81万画素
記録媒体内部フラッシュメモリ:4MB3.3Vスマートメモリ:2,4,8MB
記録コマ数(4MB)Fine(640x480)64枚,Normal(320x240):192枚標準(640x480)60枚,HQ1(1024x768):20枚,HQ2:8枚
焦点調整単焦点(マクロポジション付き)自動焦点
レンズF2.8,f=5.2mm(H2.8,F11)F2.8,f=5.0mm(F2.8,F5.6,F11)
撮影範囲0.4-∞mm(0.12-0.18mm)0.7-∞mm(0.2-0.7mm)
フラッシュなし0.2-3.0mm
モニターファインダー兼用1.8"TFT光学式ファインダー及び2"TFT
使用比較満足点:・画素数は、確かに35万画と小さいが、320x240程度の画面の場合、十分使用できる。
・赤、青が綺麗。
・撮影枚数が制限されているので、内部的に精細から標準に変換でき、撮影枚数が増やせる。
・自動車などからの撮影の場合、固定焦点のためか、C-820Lに比較して良い。
・10cm位までの近接撮影が出来る。
・形状寸歩も、重量も手ごろ。
不満点:・直接太陽を向く場合の撮影ならいざ知らず、光に弱い、青っぽい光の干渉が起こる(ホームページの写真に多くあるので、参照)。
従って、太陽又は光の方向を気にする必要があり、撮影に制限される。最大の不満点の一つ。色調整に不良があり、回収したと後で聞いたが、不良品のせいか。
・内部メモリのため、撮影枚数に制限がある。
・暗い撮影、夜間の撮影は、不可能、多分測光方式に問題があり、シャッター速度にうまく対応していないか。
・フラッシュが無く、夜間撮影が不可能。
・撮影メモリ時間が8秒以上と長い。
満足点:・スマートフラッシュメモリ使用のため、撮影枚数の制限がない。
・フラッシュがあり、夜間撮影が出来る。
・(QV-100に比較して)蛍光灯の夜間撮影でも、フラッシュなしでも十分撮影できる。
・光学式ファインダーも付いている。
・画素数が多いため、640x480程度の大きさで十分満足できる。
不満点:・色調が黄味がっかており、青色又は赤がQV-100に比べて、悪い。絶えず撮影後、色調整により修正する必要がある。最大の不満点の一つ。
・画質が少し暗い。
・フラッシュの設定で、発光禁止等、撮影の度に設定する必要がある。
・撮影メモリ時間が8秒以上と長い。
・自動焦点のため、乗り物等の撮影の場合、問題。撮影のタイミングが狂う場合が多い。
・320x240の画質モードがない。(撮影枚数が増やせるという点で)
・近接撮影の場合、10cm位に問題。
・画像ソフトに明暗調整がない、カラー調整不十分。
・少し、厚さ寸法が大きい。


 両社から新しい機種が続々発売されており、これらの内容は改善されたところが多いと思う。
 最後に、今後買い換えるとしたら、どうのような機種であれば良いかを以下に記すと、

画素数は、80万以上であれば特別な使用でない限り十分。写真印刷の場合も、プリンターの進歩もあり、かなり満足いける。
大きさは、コンパクトであることに越したことはないが、QV-100 程度であれば一応満足できる。
撮影メモリ時間は、2,3秒が我慢できる最大か。最近の機種は、速くなっている。
ズーム機能は欲しい。35mmで、30-32mm相当で、3倍程度。
・QV-100 のように、内部で記録画質変換が出来ると良い。幾ら外部メモリに頼れるといっても、旅行に場合などは、画質を後からでも落としてでも撮影枚数をその場で増やしたい場合が多い。メモリが写真フィルのように何処でも安く買えるようになれば別であるが。
マニュアル設定(シャッタースピード、絞り)も出来れば兼用できればよい。
近接撮影は、名刺の大きさの撮影が出来る。最近発売のC-830Lは、10cmまでの近接撮影が出来るようになったようだ。
シャッターは、機械式(C-620L)より電子式(QV-100)の方がよい。
撮影色調は、自然なことが一番良いが、赤と青が綺麗なこと。


5.それぞれの国民性(1997.11/23)
 近隣諸国のアジアは、東洋として、人々は、東洋人として纏められるが、その国民性は、いろいろな違いがあるように思う。
 中 国:これには多少共産主義の影響もあるかもしれないが、また、共産主義社会であったにもかかわらず、非常に個人主義的である。共産主義とは、反語的である。世界の中心に個人がある。すべて世界は、個人を出発し広がる、それを”関係”(ガンシー)と言うように思う。
 非常に総論として、すばらしい意見が出るが、その各論、具体論については、多少曖昧であり、建て前と本音が明確に分かれている。多分、個人は、このことを承知して、行動しているのだろう。
 全体より、個人の方が強力のようだ。個に帰ったときには、この利害に影響するときは、強烈な形で現れる。強烈な主張が出てくる。
 一方、大人(たいじん)である。ここには、中国の歴史、儒教・道教の長い哲学倫理思想の経験があるからであろう。本質と側面の把握、大中小の把握が出来るからであろう。信頼性の源は、この大人にある。中国人の大人性に惹かれ、信頼することになる。
 中国は広く、それを一つに纏めて言うこともまた難しい。東北、上海、福建、広東、四川とそれぞれのまた微妙な違いがあるように思うが、この違いはまだ分からない。
 台 湾:台湾は、中国人である。確かに歴史的にはそうであろうが、中国とは、かなり違っているように思う。中国本土の人は、中国人でありさえすれば、同じだと考え、中国本土の考えを一方的に強制するが、必ずしもこれには、無理があろう。同根であっても、違った育ち方、考えの発展の仕方をしているように思う。中国本土と海外居住中国人・華僑とは、同じではないし、別と考えるべきだ。
 その個人主義性は、日本の特殊な全体主義的考え方、社会的主義的考え方とが混合した、独特な国民性を形成している。戦後、いち早く経済・産業を復興し、小さな巨人となり得たのは、この辺の混ざり合った守る知恵からであろう。
 激情的なところがあるが、以外にも冷静なのかもしれない。何事も、純粋に、一生懸命なのである。
 現在、有数な工業国となった台湾は、国際的という面では、まだ田舎的である。
 タ イ:タイ人は、今は中国の雲南地方から来たタイ族が主である。
 タイの経済、政治は、中国系タイ人により、行われているため、その面では、中国、多くは潮州人の影響が、全面に出ていると思う。本来のタイ人との国民性の違いは、よく分からない。むしろ混ざり合って、新しい国民性を形成しているように思う。
 ただ、タイ人は、あの言葉の柔らかさからも想像できるが、非常に控え目で、シャイで純粋である。タイの人に言わせると、東北地方、Isaanイサーンは、特にそうであるという。
 タイの純粋、素朴性は、仏教と王国体制が、生活のなかに、潜在的にも、顕在的にも、生活の根幹をなしているところによるだろう。しかしこれが、ある種の腐敗的社会制度を形成する原因にもなっているようにも思う。この制度を今後、どう成長させるかが、タイの課題だろう。
 マレーシア・インドネシア:マレーシアとインドネシアは、イスラム教という面では、同一であるが、顔立ちは全く違う。マレーシア人は、ふくよかな仏陀の面相に近い。インドネシア人は、それに比べ少しシャープであり、日本人に近い。
 残念ながら、マレーシア、インドネシアについては、現時点、よく分からない。
 フィリピン:フィリピンにも多くの中国系が多い。しかし、それも含めて、めっぽうラテン的であり、明るく、開放的である。タイ人とは、東南アジアでは、ある意味では、対照的である。
 韓 国:韓国人は、以上の東アジアでは、少し違うように思う。
 中国人の個人主義にも近いが、また少し違うように思う。独特の道教的縦社会の中にあって、個人主義が潜在しており、それが表に出るときは、直接的、強烈に噴出する。この強烈性は、台湾にも多少あるが、違いがあるようだ。
 韓国には、”怨”と言う言葉がある。この言葉は、よく言い当てている。この根本性が、中国とは違う。対世界に対する姿勢は、何をも受け入れない強さを持っているし、継続性を持っている。
 そこに、他への優しさ、思いやりが、一方的のように思う。日本の一方性は、集団の利益を主張するときに現れるが、韓国の場合、その状況の区別はない。韓国も、国際的工業国となった、日本が変わってきたように、他への優しさ、思いやりは変わってくるだろう。強さは、決してお金でもなく、品物でもない。このことは、日本にもまだ当てはまることであることを承知しているが。
 日 本:日本は、日本人は、どうか、内から見た自分はなかなか客観的に見ることは難しい。出来る限りの客観性を持って、日本、日本人を表すとどうなるであろう。
 東アジアにあって、もっとも特殊なのが、日本だろう。没個性、個性のないことが尊重される。この点が、中国、韓国等との大きな違いであろう。たいがい社会との交渉のない世界では、没個性が最も有効な生き方だったのであろう。個性の発揮は、時に遊離となり、個性の発揮は、集団、団体への大義によってのみ、生かされる。意見、意志のない所に美徳があり、一方ではなく、両方への融通性である。
 この弱さは、逆に集団での強さになって現れる。集団をバックにしたときの強さは、類をみない特徴であろう。そこに、自己中心性が芽生える。このことが多くの軋轢を生み出してきた。最近段々、国際社会への参加が否応なく必要になり、徐々に変わりつつある。
 日本人は、シャイだと言われる。このシャイ性は、集団内没個性に根ざすもので、タイのシャイ性とは、少し違うと思う。しかし、ある意味では、国際社会の日本の美徳の一つだろう。例え、何を考えているのか分からないと言われようとも。このシャイ性が、なくなれば、日本の暴発も心配である。
   日本人にとって、今後、思いやりのある国際性が必要であろう。


4.タイのゴミ捨て禁止条例とその成果(1997.8/10)
 タイは、バンコクに限り、ゴミのポイ捨て禁止条例を1997/1 に施行した。その条例違反には、Baht2,000(約Yen8,000)が罰金である。Baht2,000 といえば、タイの労働者の平均給与が Baht4,000-8,000 位からすると大きな額である。バンコクは、それまで必ずしも綺麗とは言えなかった。
 1997/7 に訪問する機会があり、その施行状況には多少興味があった。あまりにも綺麗な街路に驚いた。捨てられた吸い殻を見つければ見つけられないこともないが、ほとんど見られなかった。その条例は、大成功である。
 しかし、バンコク市としても、それなりの準備をしていた。道の各所にプラスチックのゴミ箱、灰皿を一定間隔で置いていた。吸い殻も当然、そのゴミ箱に捨てるようになる。まさに口だけで、その準備のない日本とは違う。条例施行とは、こういうものだということか。


3.アジア女性の化粧の違い(1997.6/15)
 アジアの国々を旅し、その国の街ゆく女性を見て、化粧の仕方が多少違うように思う。
 アメリカの場合、目元の化粧の仕方が、これでもかこれでもかといった感じで、アイシャドウを塗る。これになれて、日本に帰ったとき、日本女性の間の抜けた感じを当初感じたものです。
 さて、アジアで一番化粧にこっている国は、韓国の女性のように思う。
 韓国の女性の化粧は、眉と口紅である。眉が非常に黒色系のシャープで、多少つり上がった形で化粧する。また、そのシャープな眉に、合わせるがごとく、口紅は、黒っぽい赤色の口紅で、口を締める。韓国を旅し、街で会う女性(アガシ)を見て、こうは思われないでしょうか。
 それに反して、あまり化粧に凝らないのか、さりげない化粧をしているのは、台湾のように思うがどうでしょうか。
 中国の場合、あまり化粧をしないが、訪問する会社などで会う女性で、時々吃驚するような化粧の人の会うことがある。これも個性主義の中国のお国柄なのであろう。


2.韓国の礼儀(1997.6/15)
 韓国に行って、韓国の礼儀について感ずることがある。それは、多分儒教精神に基づくものであろうが、年齢の上下関係における、対応である。
 例えば、親と酒、たばこを飲み、吸うときである。韓国では、日本と同じような形で、親の前では、酒を飲み、たばこを吸うことはない。
 親の前で、また年長者の前で、酒を飲む場合、わざわざ横を向いて酒を飲む。このような形が、日本にも古くは、あったのかわからないが、当初、これを見て、酒を横を向いて飲むとはなんと失礼なことかと感じたものです。このことに関する疑問は、そのとき直ぐに解りましたが、インターナショナル・ビジネスの世界にも時々、見られることで、多少納得できない気もします。
 また、タバコを飲む場合も同様で、親であったり、年長者の前では、決してたばこを吸うことはありません。たばこを吸う場合、外にでて、判らないように吸うことになるのです。
 これに対して、多少失礼なやり方かもしれませんが、敢えて、日本と同様に、酒、たばこを飲み、吸うように勧めたりしましたが、強引な失礼なことだったでしょうか。


1.禁煙とタバコの投げ捨てについて(1997.5/1)
 最近、日本の地方自治体条例で、タバコの投げ捨て禁止と罰則規則化の動きがある。タバコの吸い殻を含むゴミの投げ捨ては、モラルとして、守る必要があろう。
 この点で厳しい国として、シンガポールを引きあいに出される。シンガポールは、タバコの投げ捨てについては厳しく、S$300(S$500 であったかもしれない)の罰則がある。しかし、シンガポールの場合、厳しい罰則規制をすると同時に、非常に多くの吸い殻入れ付きゴミ箱が道路に設置され、メインストリートでは、大体50mおきにある。
 やはり、規制と同時にシンガポールに見られるような対応が必要だろう。
 タバコのポイ捨てで、罰則がある国、都市は、
 シンガポール、バンコク(タイ)、ソウル(韓国)、上海(中国)。
*上海エアポートでは、巡回員がタバコを捨てた場合、その場で10元の罰金を科す。
*ドイツの場合は、逆の例であるが、道路に堂々と車の灰皿の吸い殻を捨てる。道路掃除人を雇っており、その人たちの仕事を与えるのだという。


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