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25.日本独自の子の女子名、及び中国の男女別姓について(2006.5/13)
結婚宴
 中国、韓国、台湾など、いわゆる漢字文化圏の諸国を旅していて、長らく気になっていたことがある。

 先ず第一に、日本ではなんとも思わず、自然に受けとめる”○子”という名のことである。”○子”と言う名前は、当然のこととして、女性名と受けとめる。ところが、中国や韓国では、子が女子名として見ることがないのである。
 最も最近では、”○子”も一時ほど、全盛ではなくなり、舞、真理、朱美、由美、由理、美佳、加奈など、愛子、眞子など皇室の女児名以外少なくなってきているのが、流行のようである。皇室で、子を女児名として、依然として使われるているのは後述の貴族時代の女子名であったという歴史的な伝統なのかもしれない。

 前述の漢字文化圏で、子の付く女子名に出会ったことは、ほとんどない。韓国で出会ったのは、”善子”と言う一例のみである。中国でも、台湾でも会ったことがない。(台湾では、日本の影響が残っており、あるいは”○子”も有るのかもしれない。男子名では、中国本土と違って、日本流の名前が多く使われている、敏男/min-nan、俊信/jun-xin、光男/guang-nan、哲生/zhe-sheng、正義/zheng-yi、貴明/gui-mingなど。)韓国では、”善子”は、”ヨンジャ/Yon-ja” と発音される。

 中国で、”子”の付く名前といえば、孔子、孟子、荘子、荀子などの聖人君子の名前が浮かぶ。論語の”子曰”のように、孔子である君子をさす。これが、習った”子”について、直ぐに浮かぶことである。そこから、女性の名前とは結びついて出てこない。また、日本でも、蘇我馬子や聖徳太子が派遣した遣隋使・小野妹子など、子は古代では男子に付けられている。
 手元にある中国の辞書を見ても、直接女子名と結びつくものはない。しかも、「子」は原意的には、男子を指さしているように思える。日本の「子」の語彙は基本的には、中国の語義を踏襲している。
”新華漢語詞典(商務印書館)”、”袖珍漢語詞典(金盾出版社)”
子/zi:@子供、A普通、人を称する:男子、女子、B古代では、学問のある男子に対する美称、C古代では、貴方の尊称、D(略)、E植物の種子、F動物の卵、G小さくて硬い粒、塊:石子(石)、H(略)、I君主時代の爵位:子爵、J干支、K若い、小さい、K(略)、L(略)、M(略)、N形容詞、動詞の接尾語で、名詞化:椅子、卓子、O姓。
これに対して、日本の辞書”広辞苑”では、
こ(子・児):[名]@両親から生まれたもの、卵、蚕、A小さいもの、幼少のもの、若い女、B従属的な位置にあるもの、[接尾]@古くは男女共に、今は女の名の下に添える語、A小さなもの、劣ったものの意で添える語、人の意を表す語:売り子Bものを表すのに添える語:振り子・。
し(子):[名]@子、特にむすこ、A男子、男、B同輩の男を呼ぶ敬称、C(略)、D特に、孔子を指す、E十二支、ね、F子爵、G種、実、[接尾]@男子、ひと、A人名に添えて親しみを表す、B微小な物の意を表わす:微粒子。
 子がなぜ女性の名前として、付けられるようになったか、不思議であったが、たまたま名前に関する大学の卒業論文を見て、この女子名に子を付けるのは、中国や韓国などからの影響ではなく、日本独特の歴史があることが分かった。

 長崎ウエスレヤン大学・霍 紅霞/Huo Hongxia(名前からすると中国女子留学生?)の卒業論文「名前の変遷」で、中国の名前、日本の名前、女性の名前の変遷、中、日名前の対比について、研究されている。
 なお、「姓」という字は、「従女而生(女から生まれる)」を意味するとのこと、中国原始時代、”氏族の権威者は女性”とのことで、興味深い。その頃の名残り姓として、今でも「姫/Ji」、「姜/Jiang」、[姚/Yao]などがあるとのこと。

 さて、女性の子名前であるが、氏によると、”平安時代に貴族の女性に付けられ始め、鎌倉時代になると、貴族の女性名は漢字一字プラス「子」で、二音節の名がすっかり定着した。貴子、忻子、久子などという例が見られる。さらに、明治十年代に「文明開化」や「女権伸張」といった掛け声がかかるにおよんで、社会的な場に登場する機会と能力をもった女性たちが好んで「子」をつけて名乗るようになる。”以上から、女性名の○子は、平安時代、貴族の女性が、男性に対する「名乗り系」として付け始め、今のように「○子」が女性名として、一般に使われたのは、明治に入ってから”とのこと。
 なお、平安時代の子名前で、清少納言が仕えた一条天皇の中宮「定子(さだこ)」、紫式部が仕えた「彰子(あきこ)」、藤原良房の娘で、文徳天皇の妃、藤原明子の「あきらけいこ」、その子の清和天皇の妃になった藤原高子の「たかいこ」などがある。

 子名前をまとめると、奈良時代、元々君子を表わす男性の尊称であったが、平安時代以降、貴族の女性名として使われ始め、一般に使われ始めたのは、明治時代以降で、女性の名前の末尾に付ける接尾語として使われ、かわいらしい、子供を出産するなどの意味をもつようになった(百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』など)。

 次に、中国、韓国では、女性が結婚しても、女性の名前は、変わらない。これについては、日本のみならず、欧米でも、女性が結婚すると変姓する。これらの国々を旅すると、女性は生まれた時の姓を継続し、一家に二つの姓が混じりあっているを知った時、当初驚きであった。(ただし、子供はほとんど父親姓を名乗る。)このことについての疑問、驚きについても、氏の論文にも言及されている。
 中国でも、この5千年の中国の父権社会の歴史では、女性は結婚すると、男性姓に変えていたという。すなわち、「嫁夫随夫」。では、何時から、今のように男女別姓になったか。氏によると、1949年中華人民共和国が建国され、すぐ「男女平等」を第1部憲法(“54の憲法”)を書いて、 “男女平等”、“女性は天の半分を支配する”ようになって、女性の名前に変化が起こり、結婚すると女性は自分の実名を続けて使うようになった。中国、韓国で出会った男女別姓は意外に新しいことであった。(ただし、韓国の男女別姓についての歴史は分からない。)

 霍 紅霞/Huo Hongxia氏の「名前の変遷」は、子名前が日本独特のもの、更に、今盛んに議論されている男女別姓の問題は、中国の歴史(原始社会を除く、5千年の歴史では)にはなく、新中国成立後のことであるという二つの疑問を説明してくれた。「子名前」は、”中国と日本は昔からアジアにおいて隣邦同志であり、文化の交流があった。文化の構造を、中国と日本と比較するとき、異なったものと共通したものがある。”と、氏が言うように、日中は共通した中にあって、異なった文化として、日本独自に発展したことは、興味深い。
 同時に、日中,日韓において、お互い共通したもの、異なったものを歴史的に、文化的に、風俗的に、同じ隣国・隣人の共通の漢字文化圏として、冷静に、忠恕に、学びあい、認め合うことが今こそ、21世紀の新しい世界のためにも必要ではないだろうか。中国の人がこうして、日中の名前について、日本で、研究することには敬服する。現在、お互い政治の場で、必ずしもしっくり行っていない時、一層、お互い相手の場で、研究しあい、理解しあうようになればと思う。

 子名前において、本来男性を表わす「子」が女性名として使われるようになったか、依然として明確ではない。中国語の「子」の字義の中の嫩的/nen de(若い、柔らかいもの)、小的/xiao de(小さいもの)から、かわいらしい、子供を出産するの意味に直接変わったのか?「子」が子供を意味するとしても、男子の美称、尊称であることから、どう女子の名前に変わったのか、まだ少し疑問が残る。


24.中国での反日行動について思うこと(2005.4/15)
広州 広州
 4月に入ってからから、中国で広範囲な反日抗議行動が勃発し、今日現在更に多くの都市に広がりそうな状況とのテレビニュースである。中国で約一年居住し生活していたので、この時の経験を含め、中国人の対日感情を書いてみたい。
 写真は、中国広州の友達が送ってきてくれた反日行動の時の写真の2枚である。広州に行かれた方はご存知と思うが、左が天河広場付近、右が今年広州政府管轄となった5スターホテルの元日系の花園ホテル/Garden Hotel での反日行動の写真である。これを見る限り、相当の人数で、一般の人が多く参加しているように思えし、こと日本に対しての中国人の感情的動員力だと思う。

 日本のテレビ等の論評は、1.中国政府の暗黙の了解があるのではないか、2.一部の中国の人によるのではないか、と言うのが大半である。また、これに対する日本政府の対応は少し弱い、というのが一般である。今日のニュースでは、シンセン、北京、広州、成都等に続き、更に六都市で、反日行動の呼びかけをネットでしていると報じており、一方中国政府、地方政府もデモ規制、ネット規制等に動き始めたとのニュースもある。唯一まだこの示威行動の出ていない上海では、今週の週末にその動きがあり、なんとしても防ぐ為、メール(SMS)を携帯電話に公安局(警察)が送ったとのことである。

 結論を先に言うと、日本政府及び我々日本人は、中国人の対日感情を甘く見すぎているように思う。あるテレビ局が、中国人の対日感情についての緊急アンケート結果を報じ、嫌いと好きがそれぞれ15−20%位で、多くはどちらともいえないとの結果としている。

 多くの中国人と話して、生活の中で感じた、中国人の対日感情いついて、以下順不同で列記してみる。

 1.確かに、中国の対日教育の影響があると思う。中国人が必ず日本人及び日本に対して、言う内容はほとんど同じ言い方をする。「南京虐殺」、「靖国神社」、「小泉の靖国詣で」の三点が共通する。南京虐殺は、中国では「南京大屠殺/Nanjing Da Tusha」と言われる。

 2.ここに、「九年義務教育語文新課程標準」準拠による学生課外閲読叢書「中華五千年」と言う本がある。この種の中国の歴史書は、必ずと言っていいほど「中華五千年」という冠詞がつく。「中華五千年歴史」等。
 これによると、「遠古夏商周」に始まり、「南京大屠殺」で終わっている。
 1937年11月、上海占領後、12月5日、南京包囲、国民党軍の放棄、13日人類史上空前の大流血の大虐殺開始。その時の日本軍を指揮した人名と共に、詳細にその虐殺の情景を述べており、「日寇の南京大虐殺は破天荒の残虐の記録であり、人類文明史上最も野蛮な、最も恥ずべき一ページとして残しておくべきである。」と締めくくっている。

 この南京虐殺が議論される時、虐殺の人数がよく論議される。この本にも、「南京で虐殺された中国人は三十万人以上!」と記されている。しかし、中国でこの大虐殺を言われる時、人数もあるかもしれないが、この大虐殺の事実についてである。日本でこのこと(南京事件という場合が多いが)について、議論される時、人数や、その時の写真に信憑性の議論が先行する。この事実はまったく無かったといえるだろうか、真実と言う点ではどうだろうか。ローマ法王が遠い昔の十字軍の虐殺行為に対する謝罪、ドイツ大統領のユダヤ人虐殺に対する謝罪等が行われる時、日本はどうすべきであろうか。現在日本の我々日本人とって、東アジアでの侵略戦争は先祖のした過去のことになりつつある。歴史に対するけじめと言う点で、どうも違うように思える。日本人個々人がこの問題で、中国人と話し対応することとは別に、国家のけじめ、歴史のけじめが重要で、必要な時ではないだろうか。

 3.日本は、「過去の中国への侵略の歴史に対して」謝罪していないと言う意見が多い。
 これに対して、訪問した天皇陛下の謝罪、総理大臣の謝罪を説明するが、「不幸な歴史」、「迷惑をかけた」ことという簡単な言葉で表されるだろうか。(この「迷惑」と言う語については、日中の同語異義として話をされる。中国語の「迷惑/Mihuo」は、迷う、惑わすと言う意味であり、迷惑をかけるという意味は無い。)ローマ法王やドイツ大統領のことを思うと、大きな差を感じる。

 前述の国家としての歴史に対するけじめをどうつけるべきかを正面から考えるべき時が来ているように思う。

 4.中国人が日本人や日本をいう時、軽蔑の言葉として、「鬼子/Guizi」、「小日本/Xiao Riben」という。これは、日本が侵略戦争時に、言われた言葉が引続き使われているようだ。
 「日本鬼子」は、中国侵略した外国に対する憎悪をこめた言い方で、当然「美国鬼子(アメリカ)」、「徳国鬼子(ドイツ)」等とも言われる。しかしながら、中国のテレビを見ていても、「鬼子」はほとんど日本に対する言葉で、「日本鬼子」と言われるより単に「鬼子」と言われるる時は、それが日本に対して言われる時である。テレビ映画、ドラマの中で、日本の侵略にかかわる場合、必ずと言っていいほど「鬼子」、「小日本」と言う言葉が出てくる。中国で、中国の人々と一緒にこれを見ている場合、複雑な気持ちになる。

 5.歴史、愛国心、民族等は複雑に政治・経済が絡み合っていると思うが、中国での日本の侵略戦争、韓国の豊臣秀吉の朝鮮侵攻、韓日併合以来の歴史、イスラエルのドイツのルフトハンザ航空のイスラエル入国時の特別な入国手続き等を聞く時、日本の歴史上最大の大虐殺「広島・長崎の原爆投下」に対して、単に過去の歴史として色あせ始めていくことが不思議に思うことがある。

 東アジアの諸国が経済発展し、徐々に自立し始めれば始めるほど、日本のかかわった歴史に対する主張が強くなっていくように思える。丁度、日本が自立し、経済大国となるに反比例して、過去の歴史を忘れ始める、先祖がかかわったこととして、忘れていくのと逆だ。ここで、あのヴェトナム戦争時、大量の枯葉爆弾を被り、その後も影響していると思われるヴェトナムが静かのように思えるのは不思議だ。「ドイモイ」政策により、経済開発を図っている最中のヴェトナムは、自立の過程で必ずこの問題が表に出てくるような気がする。

 「中華五千年の歴史」の中での小国、中華思想の属国日本が行った「中華五千年の歴史」に対する屈辱との感情があるように思える。どうであろうか。

6.中国で、韓国・朝鮮の文化が多く認められているのは意外であった。
 少数民族の中でも比較的多い朝鮮族がいることにも関係があるかもしれないが、やはり「韓国」の影響であろう。日本にいると、また中国にいる多くの日系企業の駐在員も、日本の文化、日本製品(中国で作られる日本企業の製品も含め)が受け入れられ、その影響は大きいと思っている。しかし、漫画、歌、ドラマ、家電、携帯電話などは、今や日本のものより、韓国のものが多い。CCTV中央電視台(中国中央テレビ局)のドラマにも多くの韓国のものを見ることができる。(最近、日本でも韓国映画ブームであるが。)韓国MBSとCCTVとの間では、毎年中韓の歌謡祭が盛大に開かれている。家電についても、三星、LGが売り上げの上位に名を連ねているし、携帯電話については三星、LGは人気を博しており、日本製のPanasonic,NEC等の携帯は細々としている。さすが自動車は本田、豊田、五十鈴、鈴木などががんばっているが、最近進出した北京現代(現代自動車)はすごい勢いで売れ行きを伸ばしているし、バスは現代、大宇が相当なシェアである。
 中国で客観的に感ずる日本と韓国については、やはり中国人にとって、いろいろな意味で韓国の方が近いと思える。

 7.中国人の日本人に対する対応、反応の変化が起こっている。
 それは、以前韓国でも感じたことでもある。1990年代初頭に韓国を訪問した時は、ユーザーである韓国企業を訪問するわけであるが、その時は多少お客さん的な扱い、また技術的な先生の扱いを受けたものである。しかし、韓国が経済的に延びると共に、韓国企業が世界市場に進出し、その力を評価されると共に、訪問時の扱いは当然ではあるが、対等の普通の関係になり、時には当然ながら顧客として、威張ってでることもあった。韓国で、経済の伸張と共に、その扱われ方の変化を感じたものである。
 中国も経済発展、経済的自立と共に、中国でも韓国と同様な傾向が見られる。1990年代は、シンセンのレストランで昼食をとると、ものめずらしさと日本から来たということで、遠巻きにされたものである。それも最近では、当たり前の同じアジアの日本人である。広東省の田舎に居たが、話す言葉がおかしいので、何処から来たかと聞かれることに当然なり、日本と答えると、そうか日本人かと言うことになる。かっての様に、この田舎でも、ものめずらしさは少ない。

 8.多くの日本人は、自分よがりの日本のメディア、表面的お決まりの観光、日系企業での駐在で主に中国に接する。その中で中国を感じ、想像する。それは、日本が第一であり、経済的にはまだはるか上であり、技術的にも先生であるという一等国の固定観念から、中国(多くのアジアを)をみる。
 中国の日系企業に勤めている場合、中国人は、当然主人?である日本人には率直な感情はぶつけない。それは、至極当然である。日本は、文化的にも、経済的にも、技術的にも、環境的にも、素晴らしい国だとほめられることになり、それにより改めてそうかと満足するだけである。中国の歴史も、文化も、民族も勉強することなく、中国に来、固定観念から中国、中国人に接することになる。
 このような人にとって、広範囲な反日行動には、あれ少しいつもと違うのではないかと、思うことにならないか。
 日本のテレビでは、一般の人とこれに参加する人とを区別する論調を良く聞く。果たして、事実はどうであろうか。あの日系企業に働く、気の良い中国人がその中に居るのではないだろうか。
 昔、あるアジアの国に駐在員としていたことのある日本人が、その国の人を猿として扱うと言ったことを聞き大いに憤慨を覚えたことがある。同様に、中国で会社規則を決めた日本人が常識では考えられない罰則、罰金だらけの規則を作り、これが中国人を管理する為には当り前だと言っていた。この相手を考えない日本人の思い上がりが反日行動の根底に無いだろうか。


23.中国での「鶏年無春不宣結婚」(2005.1/13)
 中国の新聞・青年報の記事に、「鶏年無春不宣結婚」と言うのがあった。これは、Jinian wu chun bu yi Jiehun と中国語で読む。「酉年に春がないのは、結婚には良くない。」とでも、訳すと思う。
 記事には、今年は、「鶏年無春不宣結婚」のため、北京の結婚登録書は、毎日9時まで残業の連続の大忙しで、正月(春節)前まで、続きそうだと言うようなことが、書いてあった。
 このようなことは、日本では余り言わないので、回りの中国人(広東省)に聞いてみたが、余り要領を得た答えが返らない。更に、五、六人に聞いてみて,40歳近くの上海出身の奥さんに聞いて、初めて分かった。

 酉年が、関係するかと当初思ったが、これは特に関係がなく、旧暦の立春の関係のようだ。今年、2005年は、旧暦では、立春が2月4日、春節(農暦の正月)は、二月九日である。一般に立春とは、春の始まりであり、正月も春の始まりである。ところが、今年は、春(立春)が2004年(旧暦的に)に始まり、2005年の春節の正月より早く、従って、今年2005年は春がない年と言う。
 少し、他の記事を調べてみた。「無春是寡年、不宣結婚」、叉鶏年も関係がありそうで、鶏年は「寡婦年」とも言われるようだ。これによると、やはり「鶏年」も更に、関係があり、この二つの、迷信がどうも重なって、このような結婚登記所が、夜の九時まで、12時までと登記処理に、追われているニュースが、その他のメディアにも、見られる。いずれのメディアでも、同時にこれは迷信で、科学的根拠のないことを強調している。

 日本でも、以前に「丙午」年生まれの女の子は良くないと言うことがいわれ、出生率が下がったことがある。また、この年は、科学的予測の為に、男の出生が女の子より大幅に増えた。逆に、その次の年は出生率が大幅に上がった。因みに、最近では、昭和41年(1966年)であった。中国で、この「鶏年無春不宣結婚」の記事を見て、日本での「丙午」のことを思い出した。共産中国でも、いや五千年の歴史のある中国だからこそ、こういう「迷信」があるのかもしれない。


22.中国人のゴミ道徳観(2005.1/3)
 かって、ドイツで、車の吸殻入れの吸殻をドイツ人の友達が道路に捨てるのを見た。何故、ゴミを道路に捨てるのか、道路に捨てたら良くないのではないかと言ったことがある。そのドイツ人は、次のように答えて、平然としていた。「道路に捨てるのは、道路を掃除する人の職を与える為で、失業ささせない為である。」 成る程、ドイツ人の道理かと思った。ドイツへ行かれたことのある人は、承知と思うが、ドイツはゴミ分別、無駄な買い物袋、環境の保護等、非常に進んだ国であり、街も綺麗だ。カーニバルには、凄い量の紙ふぶきやゴミも出る。しかし、一夜明けた翌日は、すっかり片つけられて、平常の街になるのには、30年前のことであるが、当時驚かされたことがある。

 北京、上海、大連、広州等の大都市は、現在非常に綺麗になった、この話は、片田舎の中国での話である。あまり、目くじらを立てないで、読んでほしい。
 街は、ゴミで溢れているのには、驚かされる。街を歩くのに、注意が必要だ。道路に、ゴミが何処から飛んでくるか、分からないこともあるからだ。
 中国では、ゴミは、道路に捨てるもののようだ。家庭でも、レストランでも、平気でゴミを道路に捨てる。軒先に、上の階の住民の捨てたゴミが引っかかっていることをしょっちゅう目撃する。ゴミは、早く外に出せばよい、捨てればよいようだ。
 しかし、中国では、清掃人があちこちで、あの竹箒で道路を掃除している。ゴミは、どうやら道路清掃人が片付けるもののようだ。住民のゴミ捨てと、清掃人の清掃とのいたちごっこのようだ。清掃が終わった道路には、もう新しいゴミが捨てられていたりする。先にドイツの話をしたが、正に清掃人の職を奪わない為、住民、レストランも、皆で協力しているようだ。

 ゴミは、中国語で、(土偏に)立(土偏に)及/Laji と言う。ゴミを捨てるは、倒*立*及/Dao Laji。倒/dao4 は、逆さにする、ひっくりかえすという意味で、ゴミ箱をひっくり返して捨てるからか?


21.中国の食事の風習(2005.1/3)
Hashi Chopstick  中国で起こった SARS(中国では非典/Feidian 又は非典型肺炎という)の時、中国の食文化の伝統である主人がお客に、ご馳走を自家箸でとり、客にサービス、もてなしをすることが、非衛生として話題になり、非難されたことを覚えておられるだろう。確かに、日本の場合、取り箸と自家箸は区別され、一般には、自家箸で客に、他人にご馳走を渡すことはない。しかし、日本でも、若い世代の間では、親しみの為か、時々直接それぞれの箸で、ご馳走をつついたり、渡したり、時には相手の口に渡したりしているのを目撃することが多い。

 さて、この風習は、いつ起こったかは分からないが、中国での食事の際、それぞれが自分の箸で、食事の相手におかずをとって渡している。中国に来た当初、いちいちとって渡されるのは、面倒であり、好き嫌い、食べたい時、食べたくない時があるし、煩わしいと感じたことがある。余談だが、この場合、”自己来/Jizi Lai”と言って、以後断ることが出来る。
 しかし、このお互い取り渡す風習は、お互い親近感ができ、壁の遠さがなくなり、一体感が出ることに気がついた。日本人の妙なけじめと違って、中国人は、ある関係がある仲間、また関係が出来る仲間に対して、特別な、特殊な心情を発揮するし、見出す。”世界ウルルン物語”と言うテレビ番組の中で、福建省のある地方では、女性は義姉妹の関係を一旦結ぶと、一生あらゆる関係に優先するのを見たことがある。この義姉妹の関係は、亭主、家族に優先する。また、同郷人に対する感情も特別である。同郷あるいは同郷人のことを、中国では”老郷/Laoxiang”という。この老郷に対し、いい時も、悪い時も、肩を寄せ合い、助け合い、付き合いの集団を形成する。この中国人の考え方、生活の仕方にも、この自家箸で渡しあう食事の風習は関係はないだろうか。食事をすることは、仲間なのである。前述の日本人の”親しき仲にも礼儀あり”とする妙なけじめではなく、本当の親愛の現われだろう。

 この風習は、確かに数少ない訪問した他の国々では、余り見られない。韓国、フィリッピン、インドネシア、マレーシア、タイ、叉欧米の国々。中国人の独特なものだろうか? この点は、不明である。この点を独断と偏見で、考えてみたが、これは中国の歴史に、関係はないだろうか? 中国五千年の歴史で、多くの謀略、殺戮の歴史がある。親も子も、親戚も、時には民族も、その殺戮、謀略の対象になる。日本での想像を絶する歴史が、特に国家が変わる時、不信と保身から、繰り返されている。その時、食事の際の毒殺の歴史もあったろう。従って、主人が実際自分で使っている箸で、客人をもてなすことは、多くの意味を持ったのではないだろうか? この辺の見識者に教えてもらいたい。

 しかし、このもてなしの風習は、非衛生のそしりは免れないが、人間関係、付き合いの関係において、中国のよき風習と思う。余程の潔癖症の人は、別にして、この風習の中で付き合うのも、いいのではないだろうか。

 中国の箸は、日本で一般に使う箸に比べ、長くて太い。これは、このもてなし文化との関係はどうであろうか。因みに、箸の置き方は、日本では横置き、中国ではこの長く太い箸を縦置きする。日本では、箸の縦置きを刀と見立て嫌うが(これは本当かどうか、自信ないが)、中国にもこの習慣にも、風習上の意味、理由があるだろう。写真の上が、日本の箸で、下が中国の箸。
 日本の家庭では、箸は個人個人それぞれ専用にあてがわれ、使用する。これも、先ほどの訪問した国々では、見られない。また、箸のみでなく、ご飯茶碗、茶茶碗等日本では、それぞれ家庭であっても、区別されて使われる。日本では、食事は個人的で、集団的ではないのかもしれない。ここにも、世界の常識、日本の非常識性の一つか?


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