台 北 Taipei 2-2
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:Pingyingは、台湾と中国では、異なる表記を使っているが、台湾式表記を知らないこともあり、台湾の人には、申し訳ないが、中国式ピンイン表記によった。従って、台湾で実際に見る表記と異なっています。

円山大飯店/Grand Hotel Taipei:
 台北市の北側に流れる基隆河/Jilong He の畔の小高い丘一帯が円山である。この小高い丘に、台北市を見下ろす形で、豪華絢爛な中国建築が立つ。これが、円山大飯店であり、台北のシンボルの一つである。
 ここは、日本統治時代に台湾神社があったところで、戦後、円山大飯店が建てられ、台湾の国賓ホテルとして利用された。しかし、ここは、台湾の蒋介石と強く関わっていると台湾の人は言っている。経営は、台湾銀行の出資する財団法人が経営しているようであるが、蒋介石夫人宋美齢及びその養女である人(名前を忘れたが)が関わっているという。戦後史との関わりの例として、1995年に火災があったが、その復興の許可が、不法建築として、民新党の台北政府から下りず、2年間修復が出来なかった。また、蒋介石が住んでいた総督官邸から円山大飯店経由して、松山飛行場に、脱出用?のトンネルが未完成であったが掘られていたことが、最近発覚した。
Grand Hotel Grand Hotel Grand Hotel

2・28事件と228公園:
228 Park
 2・28事件は、日本が降伏し、台湾が光複して一年4ヶ月後の1947年2月28日に起った事件である。密輸タバコ売りの取り締りに端を発したいざこざが台湾全土の規模に発展した事件で、日頃の国民党政権(外省人)に対する台湾人(内省人)の不満をぶっつけ、全国的に閉店、授業ボイコット、官庁や警察を襲撃した。しかし、その後虐殺と粛正は徹底し、「2・28事件」に関連して、1ヶ月余りの間に殺害された台湾人は、約2万8000人、逮捕されて刑に処せられた人数は膨大な数であった。国民党の横暴ぶりは相当のものであったようで、日本統治下の「法治国家」から「無法地帯」になった中での台湾人の自然発生的な暴動と、それに対する国民党政権の虐殺と粛正の事件を2・28事件といい、かって台北新公園の中に、228記念碑が建てられ、名称も228公園と改められたようである。
 2・28事件については、伊藤潔著「台湾」(中公新書)を参照されたい。
228 Park
 伝統的中国風吾妻屋の後ろの丸屋根の建物は、省立博物館である。

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